1982年から2003年まで、
西武ライオンズ一筋でプレーし、
西武ライオンズの黄金時代を支えてきた伊東勤さん!!
現役引退後は、
監督として活躍しており、
『西武ライオンズ』や『千葉ロッテマリーンズ』などを指揮してきましたね!!
今回は、
そんな伊東勤さんの監督成績や年俸推移について紹介していきます!!!
また、
伊東勤さんと西武ライオンズとの間に確執があるの??
伊東勤と西武の確執とは!?
プロフィール
名前 伊東 勤(いとう つとむ)
生年月日 1962年8月29日
出身地 熊本県熊本市
身長 181cm
体重 84kg
投球・打席 右投右打
ポジション 捕手
【現役時代の所属球団】
1982年 – 2003年 → 西武ライオンズ
【監督・コーチ歴】
2002年 – 2003年 → 西武ライオンズ(総合コーチ兼捕手)
2004年 – 2007年 → 西武ライオンズ(監督)
2012年 → 斗山ベアーズ(監督)
2013年 – 2017年 → 千葉ロッテマリーンズ(監督)
伊東勤さんは、
1982年にドラフト1位で『西武ライオンズ』へ加入しており、
2003年まで現役選手として活躍しています!!
また、
2002年からは西武ライオンズの『総合コーチ』としても活躍しており、
西武ライオンズからは非常に信頼されていた選手ですね!!
現役時代の成績は、
22年間の現役選手のキャリアの中で、
『14度のリーグ優勝』を果たしており、
『8度の日本一』を経験しています!!!
また、
日本シリーズでセ・リーグ全6球団と対戦しているのは、
伊東勤選手しかいないそうです。。。(そのうち、阪神タイガースと横浜ベイスターズ以外の4球団から日本一を勝ち取っています)
さらに、
捕手としての通算出場試合数は、
『2327』と歴代3位の記録を持っています!!
獲得タイトルは、
ベストナイン受賞→10回
ゴールデングラブ賞受賞→11回
を獲得していますね!!
そんな、
伊東勤さんには、
西武ライオンズとの確執が噂されているようです!!!
伊東勤さんは、
西武ライオンズ一筋で21年間プレーしてきました!!
『14度のリーグ優勝』と『8度の日本一』に大きく貢献し、
西武ライオンズの黄金時代を支えた立役者でもありますよね!!
2004年からは、
西武ライオンズの監督にも就任しており、
1年目からチームを日本一に導いていますから、、、
西武ライオンズへの貢献度は非常に高いものがあります。。。
そんな、
伊東勤さんと西武ライオンズとの間にあった確執とは、
いったい、、、なんだったのでしょうか??
伊東勤さんは、
西武ライオンズの監督を4年間勤めましたが、、、
最初の3年間はAクラス入りを果たしていました!!!
しかし、、、
4年目となった2007年シーズンは、
怪我人が相次いだこともあり、、、
10連敗を喫するなどして成績不振に陥ってしまいます。。。
結局、
盛り返すことができず、、、
25年ぶりにBクラスへ陥落。。。
この成績不振を理由に、
伊東勤さんは責任を取って辞任。。。
当初は、
自身の判断から辞任したとされていましたが、、、
実際は、
西武ライオンズからの『解任』だったことを後に告白しています。。。
伊東勤さんの西武ライオンズでの最後の試合となった、
ソフトバンク戦では、
西武ライオンズから花束一つ用意されることなく、、、
労いの言葉もなかったそうですね。。。(敵地だったということもありますが。。)
仕方なく、
ソフトバンク監督である王貞治監督に頼み込んで、
花束を贈呈されるセレモニーを自作自演したそうですから、、、
本当に悲しい気持ちになったでしょう。。。
また、
2004年に西武ライオンズの監督に就任した際には、
当時のオーナーである堤義明さんに『10年間は務めてほしい』と言われていたそうですから、、、
解任するのは少し早すぎるようにも感じますよね。。。
今まで、
西武ライオンズへ多大な貢献をしてきただけに、、、
伊東勤さんは大きなショックを受けたようです。。。
これが、
伊東勤さんと西武ライオンズとの間にある、
『確執』だと言われていますね。。。
伊東勤は定時制出身??
伊東勤さんは、
熊本県熊本市出身で、
『熊本工業高校・定時制課程』に在籍していました!!
もともと外野の選手だったそうですが、
高校時代に捕手へ転向!!!
1980年に開催された『全国高等学校野球選手権熊本大会』では、
決勝へ進出してライバル校の、
秋山幸二選手率いる『八代高校』に勝利しています!!!
そして、
『第62回全国高等学校野球選手権大会』へ出場し、
当時、
西武ライオンズの監督を務めていた”根本陸夫”さんに才能を見出されて、
1981年に、
『熊本工業高校(定時制)』から『埼玉県立所沢高等学校(定時制)』へ転校しています!!
埼玉県立所沢高等学校へ転校してからは、
昼間は西武球団職員として仕事をしながら、
練習生として野球に没頭!!!
夜になってから、
埼玉県立所沢高等学校の定時制に通うという日々を送っていました!!
今では、
非常に珍しいですが、、、
昔はこのように他球団に有能な選手を奪われないために、
練習生として囲い込むやり方があったそうです!!
それだけ、
伊東勤さんは高校時代から才能あふれる選手だったようですね!!
ちなみに、最近では、
千葉ロッテマリーンズでプレーしている、
大嶺翔太選手と大嶺祐太選手の大嶺兄弟は、
沖縄県立八重山商工高校の定時制に入学しており、
2年生になってから沖縄県立八重山商工高校の全日制に編入しているそうです!!
また、
大学野球だと、
『星野仙一』『川上憲伸』『広澤克実』などが、
二部・夜間部に入学していたそうです!!
伊東勤の監督時代の成績を紹介!!
伊東勤さんは、
2004年から西武ライオンズの監督に就任しています!!
2004年シーズンは、
松井稼頭央選手がメジャーリーグへ移籍し、
カブレラ選手が怪我から長期離脱するなどベストメンバーとは言い難かったですが、、、
代わりに、
中島裕之選手やホセ・フェルナンデス選手が活躍したことにより、
『2年ぶりのリーグ優勝』と『12年ぶりの日本一』を達成しました!!!
監督一年目で、
日本一を達成してしまう快挙を成し遂げましたね!!
その後は、
優勝こそないものの、まずまずの結果を残していましたが、、、
2007年はシーズンは、
怪我人が相次いだことから26年ぶりのBクラスへ陥落。。。
10連敗を喫するなどして、
チームは低迷してしまい、、、
結局5位でシーズンを終えました。。。
この成績不振を理由に、
2007年シーズンをもって『西武ライオンズ』を辞任。。。
その後、
韓国野球界でコーチを務めるなどしてから、
2013年シーズンから『千葉ロッテマリーンズ』の監督に就任!!
しかし、
千葉ロッテマリーンズでも、
大きな成果を上げることができず、、、
2017年シーズンをもって辞任。。。
辞任理由は、
「これだけ成績が思わしくなかったので」と語っていましたね。。。
また、
2017年シーズンは、
選手時代と合わせても自身初となる、
最下位でシーズンを終えています。。。
伊東勤の年俸推移を紹介
【現役時代(西武ライオンズ)】
・1982年 → 300万円
・1983年 → 480万円
・1984年 → 620万円
・1985年 → 1300万円
・1986年 → 2900万円
・1987年 → 3300万円
・1988年 → 4500万円
・1989年 → 5500万円
・1990年 → 5100万円
・1991年 → 7700万円
・1992年 → 1億円
・1993年 → 1億2000万円
・1994年 → 1億8000万円
・1995年 → 2億
・1996年 → 1億9000万円
・1997年 → 1億7800万円
・1998年 → 1億7800万円
・1999年 → 1億7800万円
・2000年 → 1億7800万円
・2001年 → 1億3500万円
・2002年 → 1億1000万円
・2003年 → 1億1000万円
【監督時代(西武ライオンズ)】
・2004年 → 8000万円
・2005年 → 8000万円
・2006年 → 8000万円
・2007年 → 8000万円
【監督時代(千葉ロッテマリーンズ)】
・2013年 → 8000万円
・2014年 → 8000万円
・2015年 → 8000万円
・2016年 → 8000万円
・2017年 → 8000万円
伊東勤さんは、
ドラフト1位で西武ライオンズへ加入しており、
契約金を『5000万円』を獲得しています!!
また、
年俸の総額は、
現役時代→21億7400万円
監督時代→7億2000万円
となっていますね!!
まとめ
今回は、
伊東勤さんについて紹介してきましたが、、、
いかがでしたでしょうか??
伊東勤さんは、
西武ライオンズ一筋で黄金時代を支え、
監督としても結果を出していますよね!!
しかし、
2007年シーズンをもって監督を解任されており、
確執もできてしまっているようです。。。
また、
選手時代と監督時代の年俸は、
約30億円近く稼いでいます!!
ただ、
伊東勤さんは、
『野球殿堂入り』を果たしていますから、、、
それくらいは稼いでいても不思議ではないですね!!
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